『1つ嘘をつく事によって、100回も嘘をつき続けなければならない』という有名な格言?について、一度は聞いた事あるかと思いますが、皆さんはこれについてどう考えますでしょうか。『軽い気持ちで1つでも嘘をついちゃうと、後々重い枷を背負う事になり大変な思いをする事になるよ』『今後取り繕う為の嘘をつき続けなければならなくなっちゃって、嘘しか言えない嘘つき人間になっちゃう』というのが、おそらく本来の意味するところであると思います。・・・しかし、この言葉、このように捉えている人もいます。『1回の嘘を通すためには、100回の嘘が必要』つまるところ、『万全を期して、一つの嘘をつけ』、、といったところでしょうか。私が社会人になってから思うのは、『世の中嘘ベースで物事を進めていく人が一定数いる』、という事です。その人達は、見ている限りあらゆる場面において、嘘の事(手抜き・サボり・実態と異なる報告など自分にとって有益な事)を行動原理として考えます。(例:○○の仕事とってきた!さてどうやったらやった事にして誤魔化せるかな、、)もちろん中にはこの格言に従わず(?)、100の嘘を考えない、楽観的で怠惰な人達もおり、その人達はすぐ怪しまれてしまい、その身を滅ぼしたり見なくなってしまいますが、この格言通り(?)に100の嘘を考える勤勉なタイプは、嘘から逆算し、裏取り・想定される事態の推測等、嘘を通す為の対策をとり、万全な形でその嘘を通します。そのため、このタイプの人は、話に妙に説得力があったり、ちゃんとしている人だという印象を与えます。仕事でも見積もりを通したり、不具合の対応や、商談など仕事を決めてくるのが上手い。斬新なアイデアを出すのが得意な人もいます。ただ社内だと、ただでさえ過多な仕事を「効率良い」だけでは片付けられないほど短い時間で終わらせていたりで、妙だな、、と噂されている場合も少なくありませんが、、、まあ、さしずめ嘘つくことへの努力家であり、嘘のプロであり職人と言ったところでしょうか。嘘について私が思うことは、生きていれば、ひたむきさや誠実さだけではなかなか上手くいかない問題ってあると思います。そういった場合、それでもただひたすら実直に向き合い続けるよりも、他の選択肢も検討できるような、そういった柔軟性というのは生きるうえで必要だと思いますね。また、私は嘘を付く事よりも自分が破滅する方が嫌なので、やむを得ない場合の嘘、というのはつくかも知れません。しかし、やはり嘘を付く以上は、発覚しないように入念にチェックする事が大切だと思います。みなさんも、嘘というものについて、改めて自分なりに考えてみても良いかも知れませんね。擁護派は否定派として、否定派は肯定派として、立場を変えてみて意見を出しても面白いかも知れません。
一般的な3ヘッド最弱理論に基づくと打6pが正解の筈なのですが、コンピューターに計算させると打1mの方が和了確率・聴牌確率が高いという結果になります。一体何故なのでしょうか?
条件は特にないとします。
東家+15300南家-2000西家(自家)-11100北家-2200他に条件は特にないとします。
実際に遭遇した場面です東家20000点(3着)、北家30000点(トップ)とします
「No.6236」 より
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